畑中氏は、レクチャーにおいて火伏信仰を強く感じたと言われていた。これまで、湧水のカミの姿を追い、ゴンゲンサマや塞の神を探してきたが、水の信仰と近しい、火伏=天狗信仰についても調査するため、まず中伊豆図書館にて文献調査を行い、(1)原保の竜爪信仰にて当時参拝していた湯ヶ島青羽根の竜爪神社(2)原保(山)から伊東(海)へと至る道中に出現した天狗の詫び状を対象とした。
柏峠で気になったのは、馬頭観音の形状だ。これまで大見川流域周辺で確認した馬頭観音と異なり、ここでは神像に近い形状をしている。
「山地住民における宗教文化の展開過程」(萩原竜夫、千葉徳爾、明治大学人文科学研究所紀要、1988)において、「山の神の姿、形、それが男であるか女であるか、といった問題は、実はそれを祭祀する修験や巫女たち自身の姿や形であったろうとみることによって説明できる。」とされている。
大見川流域周辺の天狗信仰を調べてみると、その起因は当該流域に隣接する森林における材木伐採の山掃除の残火による森林火災と想定され、大見川流域の境界で多く見られる。天狗とは、火伏せの神でもある。
原保地区の住民が参拝していた竜爪神社はその名のとおり弾除けの竜爪信仰の神社であるが、元を辿れば、火伏せ=天狗信仰とも捉えられる。
竜爪神社は山頂にあり、当日は風が強く、まさに天狗が現れそうな空間となっていた。
大見川流域とその周辺の境界に、火伏せの祈りと共に天狗は現れる。その姿は、きっと大見川流域の人々が森林を守りこれからも生きていくための祈りの姿なのであろう。